※先輩後輩パロ(青い春赤い夏続き)
「先輩、アンタまた進路希望白紙で出したんだって?」
秋は日が落ちるのが本当に早い。がらりとした教室は西日だけが差し込む。机の上の白紙がやけに眩しく光っていた。
「誰から聞いたんだよ」
「アンタの担任が顧問に愚痴ってるのが聞こえたんだよ。僕だって聞きたかったわけじゃない」
不意に先輩の手が紙に伸びる。ほんの数ヶ月前まで竹刀を握っていた無骨の手が丁寧に紙に折り目をつけていく。僕はその紙が何だか知っている。でも何も言わない。
「新八ィ」
目は紙から離さないままで僕の名前を呼ぶ。
「何ですか」
「俺さ、県外に行くつもりなんだ」
できた、と呟いて手近の窓をがらりと開けた。乾いた秋風が教室に吹き込む。先輩は手にした白い紙飛行機をその窓からつぅっと飛ばした。橙に染まった空を背景に紙飛行機は小さくなっていく。
白い点になってしまってから、僕は口を開いた。
「いいんですか、希望調査票飛ばしちゃって」
「俺が飛ばしたかったんだからいーの。真面目だねぇ、新八クンは」
何となく、先輩の発言への返答をうやむやにした。特に理由があったわけではない。漠然と寂しくなるなあと思っただけだった。入学して半年しか経たない自分にとって進路というものはなかなか現実味を帯びない。だから来年から先輩に会えなくなるという事実を現実に起こりうるものとして認識できない。それよりも飛んで行った紙飛行機の行方のほうがよっぽど現実的だ。
ぼーっと窓の外を眺めていると、ふと視界が翳った。
何事かと意識を浮上させると、先輩がやけに真剣な顔で僕の前に立っていた。そっと僕の両頬に手を添えた。
「なあ、何考えてた?」
何、ってあなたのことです、とは言えなかった。捉えどころのない自分の考えを口にするだけの勇気はない。じっと鈍く光る瞳を覗き込んでいるとすっと先輩は身を引いた。
「止めねぇの」
すとんと椅子に座りなおすと、先輩は低く呟いた。問いかけともとれたし、呆れとも喜びともとれた。
「先輩が県外に行っちゃうことですか」
「そ。薄情な後輩だな。そこは目ェ潤ませていじらしく引き留めてくれよ」
「何スか、その謎フィルター。先輩の思い通りになんて動きませんからね」
「あ、そ。可愛くねーの」
先輩はついとそっぽを向いた。ふと、口角が僅かに上がっているのに気づく。一体何が嬉しいんだろうか。
しばらく沈黙が続いた。お互いに窓の外を眺めて、夜の気配を感じていた。
「そろそろ帰るか」
先に沈黙を破ったのは先輩だった。
「そうですね。もう日も暮れましたし」
並んで校舎を出る。空はすっかり紫に染まり、風も少し冷たい。改めて秋だなあ、と実感する。
「すっかり秋ですねぇ」
「そら、もう10月だかんな」
ん、と先輩の手が差し出される。何事かと先輩を見つめ返せば、溜息混じりに乱暴に手を握られる。
「ちょっ、公道ですよ!先輩!!」
自分でも意味不明だと思える理由で先輩を諫める。先輩が無言なのをいいことに更に捲し立てたが、何を言ったか覚えてない。恐らく支離滅裂なことを言っていたと思う。鼓動の音だけがやけに鮮明に耳に残った。
僕の手を握る先輩の手が少しも弛まないので、観念して口を閉じた。日が暮れていて本当に良かった。でないと、僕の顔は真っ赤で見てられないくらいだっただろうから。
「あのさ、新八」
おとなしく手を繋いだままにしていると先輩がようやく口を開いた。
「その、そろそろ先輩って呼ぶのやめてくんねぇかな」
ぽつりと本音を零すように小さく告げられた。思わず呆けていると、空気が揺れた。
「何つうか、まあ、ずっと先輩呼びっつーのも、なあ?」
空気が揺れたのは先輩が微かに笑ったのだと認識した。薄暗くて表情は見えないが、なんとなくどんな顔をしてるのか想像できる。
「じゃあ、何て呼べばいいですか?」
「銀さん」
「即答っすね」
「まあな。あんまり呼ぶ奴ァいねーけどしっくりくんだよ」
だから、さ、と先輩が返事を促すように手に力を込める。掌から先輩が口に出さない緊張とか不安まで一緒に伝わってしまうようだった。
「断る理由なんてあるわけないでしょう、せ……銀、さん」
名前を呼ぶということがこんなにも羞恥を煽るなんて考えてもみなかった。自分の中の秘めていた甘やかな想いまでも音節に乗って耳に届きそうで、自然と顔に熱が集まる。
そんな僕を知ってか知らずか、先輩もとい銀さんは何も応えてくれない。繋いだ手がじとりと湿り気を帯びてくる。沈黙のせいでまた恥ずかしくなってくる。
「……なんか、こそばゆいな」
更に長い沈黙の後、ぽつりと銀さんがこぼした。少し黙って、僕は「そうですね」とだけ返した。
再び続いた。進路の話と、前回言ってた名前で呼ぶ話。