ひやりと額に触れる手で目を覚ました。
「Morgen.気分はどうだ、ヴェスト?」
兄に優しく問われ、状況把握に努めようとする。だが、頭の中で鐘が鳴っているかのように痛む。昨夜は一体何があったんだ?
「いまいち優れないな。頭痛がひどい」
正直に述べると兄は緋色の瞳を細め、「じゃあもう少し寝とけ。まだ少し早い時間だからな」とあやすように返した。俺よりも少し体温の低い手が瞼を覆う。冷たくて心地よい。俺の好きな手だ。
微睡みの中でぼんやりと、兄が同じベッドで寝ていることに気付いた。何故一緒に寝ているのか思い出せない。
思い出せなくてもいいか。
兄の手の心地よさに、眠気に身を委ね少しずつ意識を手放していく。
兄が綺麗な女性と歩いているのを見た。本当に綺麗な女性だった。背中まである透き通るブロンドをたなびかせながら颯爽と歩く姿は誰が見ても美しかった。そして、誰が見ても美男美女のカップルに相違なかった。俺もそう見えた。
普段はいの一番に俺に気づく癖に今回は全く意に介さない。ちらりとも俺の方を見ない。心の奥でちり、と焦げた音が聞こえた。
これ以上何も見るな、聞くなと警鐘が鳴る。わんわん頭に響いて何も考えられない。それでも目が反らせない。
途端、女性が段差に躓いた。躓いたと俺が認識した瞬間には既に兄が女性を支えていた。それから薄く微笑んで女性に手を貸した。
なんて紳士的な行動。さすが、と褒めるべき場面だろう。
女性が驚いた表情で何か言い、兄も僅かに目を見開いて、それから笑った。
楽しげな兄らと裏腹に俺の心はじりじりと音を立てて焦げていった。身を焦がすこの感情の名前を俺は知っていた。強く揺さぶられることはないと思っていた。俺は感情をコントロールできると思っていた。それがどうだ。内側から蝕むように感情に呑み込まれていく。
嗚呼、何故こんなにも嫉妬してしまっているのだろう。
次に目を覚ましたときも兄は俺の横にいた。さっきと違うのは兄が寝ていることくらいだ。さっきよりも明るくなった部屋の中でやや色素の薄い髪がきらきらと輝く。綺麗だ。
「兄さん」
俺の声が聞こえたのか兄が僅かに身じろいだ。光を反射する銀に縁取られた緋色とかちりとぶつかる。
「どうした? まだ気分が悪いのか?」
「いや、心配はいらない。もう大丈夫だ」
半分嘘だった。全身はじっとりと嫌な汗をかいてるし、じりじりと焼かれた心は生々しく燻ったままだ。
「そうか。なら起きて朝飯にでもするか」
兄はおもむろに手を伸ばし俺の髪を梳く。幼い頃から何度となくされたはずなのに今朝は満たされるほど心地良い。目を閉じてされるがままになっていると、手はするりと下りて頬を撫でた。伝わってくる体温にようやく心が沈静化した。
「昔な、何かの拍子に言われたことがあったんだよ、『あなたの手、冷たいのね。血が通ってないみたい』って。誰に言われたんだか覚えてねぇが、まあ女だよな。忌み嫌うように言われて俺はだいぶショックだった。もう随分と昔の話になるが」
兄の思惑は分からないが、俺は黙って続きを促した。
「俺はそれが何十年、何百年経っても消えないトラウマになってて、人に触れるのを躊躇うようになったんだ」
そっと離れた兄の手を取って「俺はこの冷たさが心地良くて好きなんだがな」と告げた。兄は「知ってる」と笑った。
「ヴェストだけだよ。『兄さんの手、冷たくて気持ちいい』なんて言ったの。昔っから言ってんだぜ、お前」
楽しそうに笑う兄に俺も「知ってる」とだけ返した。そんな昔のこと忘れてくれても構わないのに。
「後にも先にもそんなこと言ってくれるのはお前だけな気がするぜ」
ぽつりと零れた言葉に驚いて兄を見ると、優しく微笑んだ。とても愛情に満ちた瞳をしていた。
お題:確かに恋だった