最近兄さんの様子がおかしい。
今までがおかしくなかったかと言われれば返答に窮するのだが、そうではなくてどことなく違和感を感じる。やたらとハイになって俺に構ったり、かと思えばアンニュイな面持ちで物思いに耽ったり。今まで以上に落差が激しい。こちらに全く身に覚えがないのでどうしようもない。
冬になると、殊雪が降り出すと、毎年何かを耐えているような、安堵しているような複雑な顔で外を眺めているのだが、今年はそれとは別件らしい。おかしくはあるが元気そうなので、内心ほっとしている。
「兄さん、夕飯の材料を買いに行くんだが、一緒に来ないか?」
ソファで本を読みふける兄さんに声を掛ける。珍しくその横顔は真剣だ。一呼吸あけて兄さんが本から顔を上げた。
「何買うんだ?」
読んでた本にしおりを挟み、懐から時計を取り出す。どこかで見たことあるような気がして思わず時計を凝視する。こちらを見た兄さんと目が合った。自分とは似ていない赤。名前を呼ばれ、自分が意識を飛ばしていたことに気づく。
「まだ決めていないが、少なくともチーズは切らしてるな」
自分で尋ねておいて、興味がないような返事を寄越した。彼にとっては夕飯の内容が重要であって、冷蔵庫の中身にはきっと興味がないのだろう。
オニオンスープが飲みたいという鶴の一声から、今晩のメニューがすんなり決定した。如何に効率良く買い物を済ませるかに考えをシフトする。いつも行く店内を思い浮かべ、入り口からレジまでの道順を組み立てる。この作業はデスクワークばかりでいる日ほど心地良い。ささやかな実戦訓練のようなものだ。
「で、どう回るか決めたのか?」
脳内で無事にレジまでシミュレートできたと同時に、兄さんが後ろから声をかけた。俺のこの癖は幼少の頃に兄さんに憧れて始めたものなのだが、それを知ってか知らずか、昔から声をかけるタイミングだけは違えたことがない。「ああ、たった今決まった」と告げると、いつも通り満足そうににやりと口角を上げるのだ。
日がまだある間に出かけたので寒さはやや和らいでいるようだ。それでも寒くて「寒いな」と零すと「まったくだ」と苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。やはり冬は嫌いらしい。
マフラーに顔を埋めた横顔に気付かれないように溜息を漏らす。溜息は白く染まり霧散した。
「なあ、兄さん」ああ、息が白い。「帰ったらホットミルクを淹れてくれないか?」
別にコーヒーでも何でも良かったのだが、口からするりと出てきてしまった。何も考えずに口を開くとこうなってしまうんだな。我ながら幼い発言だったと自省しつつ兄を振り返ると、顔を赤くして立ち竦んでいた。ぽかんと開いた口が何やら動いて閉じた。何を呟いたかは全くわからなかった。
「どうかしたのか」
首を傾げるも、答えてくれるわけではなかった。むしろ顔の赤みが増した気さえする。「熱でもあるのか」と額に手を伸ばすと「違えよ、気にすんな!」とかわされてしまった。
「帰ったら俺様特製のホットミルクでも何でも淹れてやるよ!さっさと買い物終わらせるぞ!」
俺を追い越してずんずんと進む兄さんの後ろ姿に思わず笑いが込み上げる。一体何なんだ。
「兄さんが楽しそうならいいか」という呟きは誰の耳にも届くことなく白く消えた。
お題:確かに恋だった