明日泣かないために 優しいことばをください

 明日は卒業式。
 高校生活最後の晴れ舞台に相応しく、教室は生徒の手によって綺麗に磨かれる。普段は白んだ黒板も、プリントがはためいている掲示板も、男子生徒の足跡が付いた壁も、落書きだらけだった机も、廊下も何もかも。
 3年間親しんだ校舎ともお別れなのかと思うと名残惜しくなる。

「おい、林田。お前、まだ残ってたのか。卒業生はもうとっくに下校時間だろ」
 呆れたように声をかけてきたのは、担任の森田だった。声をかけたのが森田と知って林田は人知れず胸を撫で下ろした。これが英語の吉井だったら卒業式前日に長々とお説教を食らうところだった。
「ちょっとくらい感傷に浸ってもいいじゃないですかぁ」
 わざとらしく語尾を伸ばして笑いかける。森田は困ったように頭を掻いた。そこで彼女ははたと気づく。この綺麗になった学校の中でまだ綺麗になってないものがあった。
「ねえ、先生、そのカッコどうにかなんないの?」
「どういう意味だ。あと、敬語忘れてるぞバカ」
「うっわ!生徒にバカって言った!PTAに訴えてやる!」
「おい、やめろ!最近そういうのシビアなんだぞ!」
「ふふ、冗談ですよ、ジョーダン」
「……で、格好をどうにかってどういうことだ?」
 一息ついた森田が改めて尋ねた。
「ナイショです」
 ぼさぼさな森田の髪を見て林田はクスリと笑った。いつもと違い綺麗になった教室でいつものままの野暮ったい姿が浮いて見えただけなのだ。それを改めて指摘するほど林田は無遠慮でなかったし、無遠慮が許されるほど親密な仲ではなかった。
「内緒って、お前が言い出したことなんだがなあ」
 不服そうな口ぶりが子供っぽい。そのおかげで先生と生徒よりも近い関係だと錯覚してしまう。
「いいんですよ、先生は気にしなくても」
 言葉通りの意味も、その裏にある恋心も、どちらも求められたくはなかった。林田は、3年間抱き続けた不毛な片想いを封印したまま卒業するつもりだった。
「あーあ、ホント先生のおかげで3年間棒に振っちゃったよ」
 友人たちは同級生や先輩に恋して、叶えられるような恋をして、きらきらと輝いて、まさしく青春を謳歌していた。とても羨ましかった。
「先生のせいにするんじゃありません」
「責任とってよ、先生ぇ」
「責任ってなんだよ。あと1日で3年間は取り戻せないぜ?」
「そんなことは分かってるんだけどさぁ」
「ほら、また敬語」
「感傷に浸ってる生徒にもっと優しくしてよ、ね、先生」
「先生はそういうの苦手なんだ。無理言うな」
 森田がそういう人間であることは、林田は十分承知していたし、慰めを求めていたわけでもなかった。
「知ってたけどさぁ。なんかツマンナイの」
 だが、最後くらい優しくしてほしいと思わないわけではなかった。
「あ、そうだ、せっかくだからさ、センベツに木を一本ちょうだいよ」
「どういうことだ?木?」
「そう、木。木が一本ほしいんだ。だから、明日用意しておいてよ」

 (明日には卒業するから、もし、私の想いが伝わったら、あなたから返事がほしい。)


どこにもメモが残ってないけど、「確かに恋だった」様のお題な気がする。

2015.03.06