「えー、今日はお兄ちゃんから重大な提案があります!」
自室に兄弟全員を集めた長男おそ松が高らかに宣言する。おそ松はぐるっと弟たちの顔を見渡して、コホンと咳払いをした。
「そろそろ名前つけない?」
至って真剣な表情を崩さない長男に三男チョロ松から「いや、しょうもないことで集めんじゃねえよ!」と怒号が飛んだ。
「しょうもなくないよ?めっちゃ大事じゃん?予告状とか出したいじゃん?」
「フッ、俺は賛成だぜ。夜空を音もなく駆ける俺たちに相応しい名前を考えないとな」
「僕も賛成かな。でもカラ松兄さんにはつけられたくないなぁ」
「はいはいはーい!俺も賛成!かっこいい名前がいいな!」
おそ松の意見に、次男カラ松、末弟トド松、五男十四松と順に賛同していく。弟たちを着々と味方につけ勝ち誇った表情のおそ松に、チョロ松は頭を抱え、未だ発言していない四男を横目で見る。
「……何か言えよ、一松」
「別に、面白そうだしいいんじゃない」
一松の言葉を聞くや否や「はいじゃあ決定でーす!いいよな、チョロ松?」とおそ松は口の端を上げた。
「好きにすればいいよ、もう」
チョロ松は盛大な溜息をついた。表面上では反対の姿勢を取ったが、チョロ松もまた六つ子の一人。内心では面白そうだと思っていることをおそ松は見透かしていたが、あえて指摘はせずに話を続けた。
「で、カッコイイ名前つけたいんだけどお前らなんか意見ある?」
◇ ◇ ◇
「『セイ・ピーノ』?」
現場に駆け付けた年配の刑事が眉を顰めた。その隣で若い刑事が真剣な表情で手帳を繰る。
「はい。最近台頭してきた宝石泥棒です。イタリア語で『六本の松』という意味だとか。狙うのは大富豪がほとんどで、毎回現場にメッセージカードを残してくるので彼らのことをそう呼んでいます」
「彼ら、ということは犯人は複数なのか?」
「そうらしいです、が、何人なのかは分かっていません。二人とも三人とも、それ以上とも言われています」
年配の刑事は片方の眉を上げた。
二人の刑事におずおずと裕福そうな身なりをした男性が近づいてくる。どうやらこの屋敷の主人らしい。
「あの、これが送られてきた予告状なのですが」
心配そうな表情を浮かべ、刑事たちに名刺サイズのカードを差し出す。カードには松の絵柄が印刷されており、その上には「明日夜、あなたの大切にしている宝石を頂戴します」とだけ書かれていた。
「これが昨日送られてきたわけですね?」
若い刑事が確認するように家主に尋ねる。よほど不安なのか、家主はこくこくと首を縦に振った。
「我々にお任せください!きっと守ってみせますよ」
家主を安心させるかのような笑顔を浮かべ、若い刑事は警備員を集め作戦の確認を行った。
とんだ茶番だ。
一松は配置図を眺めて溜息をついた。せっかく策を練ったであろう刑事からの指示も、後ろ手に起動した無線から兄弟に筒抜けだ。警備員に扮して現場に紛れ込んだのは一松には初めての経験だったが、想像以上に容易く事が運んでいて拍子抜けする。
「油断すんなよ、一松ぅ」
ねっとりと、それでいて楽しそうな長男の声がイヤホンの向こうから飛んできた。
「迂闊に話しかけないでくれる?」
各自持ち場に解散した後、気づかれないように返事をする。何が楽しいのかイヤホンの向こうからはくつくつと笑う声が聞こえた。
「もう、おそ松兄さんのことは放っておいていいから、配置を教えてよ」
呆れた声でチョロ松が会話に入ってくる。
「さっきの指示聞こえてたんじゃないの。説明するの面倒なんだけど」
「そう言うなよ、一松。じゃあ、せめてお前はどこの配置になったんだよ」
「俺?俺は部屋の前の通路だよ。巡回って形だから一応動いても怪しまれない位置」
「分かった」
ふと一松が窓に目を向ける。立派な木がある。いざとなったらこの木を伝って逃げればいいか。枝ぶりを確認するように眺めていると、枝の隙間から覗く瞳と視線が絡んだ。
思わず舌打ちした一松にイヤホンから小さな悲鳴が聞こえた。
「なあ、陽動部隊クソ松ととか聞いてないんだけど」
窓から視線を外し、誰かしら聞いているであろう兄弟に吐き捨てる。宥めるような声を出したのは長男だった。
「だって、十四松宥められるのチョロ松しかいねえんだもん」
「なに?兄さん、呼んだ?」
十四松、と呼ばれて本人が反応する。その声の向こうで「ちょっと静かにして十四松」と聞こえた。おそ松の言った通り、チョロ松と十四松が行動を共にしているのだろう。
カラ松が一松を組むとなれば、未だ発言していない末弟はおそ松と一緒なのだろう。一松の考えを見透かしたかのように「ぴんぽーん」と呑気な声でトド松が口を開いた。
「今回は監視カメラがかなり多いらしいからね、チョロ松兄さんには裏に回ってもらったんだ」
「そういうこと。ポカするわけにはいかないからよろしく頼んだよ、一松クン!」
一松は再び舌打ちをして、窓の外にいる兄に向って中指を立てて警備に戻った。
◇ ◇ ◇
「次のターゲットが決まったので発表しまーす!」
長男の一言で兄弟がおもむろに集合する。トド松は眺めていたノートパソコンを閉じた。直前まで見ていたネットニュースでは突然現れた怪盗で話題が持ちきりだった。
「早くない?まだ2週間しか経ってないじゃん」
チョロ松が早速反論の声を上げる。誰が何を言おうとおそ松の意見は変わったことがないのに無駄なことをするな、とトド松は横目で兄を見た。
「期間とか関係ねえよ!今回は大物だぜ?」
「マジすか兄さん!」
「大マジだぜ、十四松。ナントカ財閥のお偉いさんが先週帰国してきたんだけど、どうも、いい値打ちの宝石があるらしいんだよ」
にやにやしながら語るおそ松の話が長引くと思い、トド松は再びノートパソコンを開く。
セイ・ピーノと名乗る怪盗があちこちの金持ちから宝石、現金、美術品を奪っていく。犯行時には現場にメッセージカードを残していくスタイル、決して人を傷つけることなく盗んでいく手口に、一部の一般市民からは憧憬の目を向けられている。しかしその実態は分かっておらず、盗みの手口も毎回異なるため、警察も振り回されている。唯一分かっていることは彼らが複数いるということだけだ。
ネットニュースや掲示板などを眺めてトド松は思わず頬を緩める。
「おい、トド松、聞いてんのかよ?」
おそ松の声にハッとする。十の瞳が自分の方を向いていた。愛想笑いを浮かべながら謝ると、おそ松はしょうがないなあと肩を竦めた。
「とりあえず、今回は全員で動くから覚悟しとけよ」
ビシッとおそ松が締めてその場は解散となった。
「ねえ、カラ松兄さん、今回そんなにやばいの?」
他の兄弟が部屋を出ていってから、トド松は唯一部屋に残った兄に声を掛けた。おもむろに取り出した手鏡をしまうと、カラ松は隣に腰を下ろして先ほどまでの会話をまとめた。
「念には念を、という感じだな。チョロ松が前回から間が空いてないから警備を強固になるだろうと心配していた。そのあたりはチョロ松と一松が下調べをしてくれるらしいから、まあ、それ待ちだな」
「そっか。今週末あたりには決行かな」
「だろうな。全員で行くのは久々だな」
「しばらくチョロイのばっかりだったからねぇ」
六人全員で動くのは大仕事のときだけで、それ以外のときはくじ引きで決めたり向き不向きで決めたりとまちまちだった。それだけ今回の獲物は大物なのだろう。トド松は今回のターゲットについて検索するべく画面を切り替えた。
◇ ◇ ◇
「カラ松、一松、準備はいい?」
チョロ松の声に時計を確認する。決行一分前。いい時間だ。
「ああ、いつでも大丈夫だ!」
窓越しに一松と目を合わせて、カラ松が答えた。微かに舌打ちが聞こえたが、気にしないことにした。
「よーし、カウントダウンすっからな!」
おそ松の楽し気な声でカウントダウンが始まる。徐々に迫る時間を感じながら、いつか読んだ小説に出てきた強盗のセリフを思い出していた。
「ゼロ!」
おそ松の声が聞こえると同時に「ロマンはどこだ」と呟く声を一松は聞いた。
刹那――。
「やあ、諸君、深夜の警備ご苦労!」
部屋から少し離れた位置の窓ガラスが割れ、廊下中に朗々とした声が響きわたる。真っ白のタキシードに身を包んだカラ松が、同じく真っ白なマントをはためかせながら窓べりに立つ。こういうとき演劇部だった経験って生きるんだな。続々と屋敷に配備された警備員たちが集まってくるのを見て、一松は刑事たちと家主がいる部屋へと急いだ。
「かの大泥棒アルセーヌ・ルパンは言った――」
カラ松の演説が始まるのを背中で聞きながら、慌てた警備員を装って部屋に飛び込んだ。
「現れました!ヤツです!」
息も切れ切れに叫べば、若い刑事が弾かれたように部屋を飛び出した。さすがに熟練の刑事は動揺を見せず、部屋をぐるりと見渡した。それから一松に近づき「きみは主人の警護をしてくれ」と肩を叩き、部屋に残った警備員には引き続き警備するように告げて若い刑事の後を追った。
なるべく自然に見えるような動きで部屋の扉を閉める。部屋の警備員は二人。自分一人でも何とかできる人数だが、兄弟の様子を窺う。
「こちら、十四松!作戦完了でありまっする!」
ガシャンと派手にガラスの割れる音がしたのを聞き、隣の十四松と目配せする。
天井裏から様子を覗くと、廊下の警備員がバタバタと音がした方へ駆けていくのが見えた。そわそわし始めた十四松を制止して、警備員の動きが落ち着くのを待つ。扉の前を警護する警備員二人を残して、近辺の警備員は出払ったようだ。
「十四松」
チョロ松が弟の名を呼ぶと、それだけで伝わったのか「あいあい!」と元気よく十四松が天井を破って廊下に下りた。警備員が銃口を向けるより速く十四松が動き、一気に二人とも気絶させる。
「チョロ松兄さん」
目を細めて十四松が天井を、チョロ松のいるあたりを向く。ついさっき破られた箇所からひょいと下りる。前もって手に入れた屋敷の見取り図を見比べ、改めて管理室であることを確認し、十四松と作戦の確認を行った。
「いいか、十四松、まず部屋に入ったら?」
「全員気絶させる」
「気を付けることは?」
「機械を壊さない!」
「よし、それじゃあ行くか」
十四松の返答に満足そうに頷いてチョロ松が先を促した。威勢よく扉を開き「たのもー!」と十四松が叫ぶ。瞬時に部屋の中の人数を数えた。モニターの前に一人、恐らく警護であろう人員が三人。余裕だ。
一斉にこちらに向かってきた三人を交わし、チョロ松はモニターの前に走る。ポケットから催涙スプレーを取り出し、振り返った男の顔面に思い切り吹きかけた。後ろでは十四松が楽しそうに警備員を翻弄している。本人としてはプロレスごっこと似たようなものなのだろう。
監視カメラを止める前にモニターを一瞥する。警備員に滔々と演説を行うカラ松の姿が見えたが顔は映っていない。問題ない。モニターの前に備え付けられたパソコンに向き合う。複雑なシステムでもなければ十四松が警備員を片付けるくらいには終わるだろう。
「チョロ松兄さーん!」
あっさりと突破できたシステムに拍子抜けしつつ、十四松の声に振り返る。予想通り警備員たちは床に転がっていた。
「一松兄さんがそっちはどうか、って」
作業に集中するためイヤホンを外したのを忘れていた。チョロ松はイヤホンを耳に差し込みながら「こっちは終わったって伝えてよ」と告げた。
「さて、僕らはそろそろお暇しますか」
十四松の報告を聞き、一松はガスマスクを取り出し、すぐに催眠ガスを部屋中に充満させた。ばたばたと倒れていく警備員に思わず口角が上がる。完全に全員が落ちてから僅かに扉を開け、隙間からガスを逃がす。
「こっちも終わったよ」
「サンキュー!」
早速おそ松から返答があり、天井から真っ赤なジャケットが姿を現した。顔はガスマスクで覆われており表情は読めない。
「チョロ松と十四松も脱出し始めたみたいだし、お前もカラ松回収してこいよ」
やっぱり回収までセットか。露骨に嫌な顔を浮かべたが、マスクのせいで気づかれない。一松は深く溜息をついて、渋々部屋を後にする。
「あ、ちょっと待って一松兄さん!」
天井裏からひょっこり顔を出したトド松に呼び止められる。
「何」
「マスク、おそ松兄さんが僕の奪っちゃったから一松兄さんの貸してよ」
「何やってんだ長男」
「いやあ、メンゴメンゴ!」
ひらひらと手を振る兄に何も言わず、マスクを弟に放る。ガスもいくらか薄れたし多少息を止めることくらい大したことない。
「じゃあカラ松の回収頼んだぞ」
一松は何も言わず部屋を出ていった。
「すっごい嫌そうな顔してたよ、一松兄さん」
うわあと言いながらトド松が兄の背中を見送る。
「まあ、何とかなるでしょ。俺らはこっち」
おそ松が指差した先には立派な金庫があった。鈍い光沢を放つ黒い表面は存在そのものが重厚で、いかにも大事なものだ入っています、と感じさせる。
「ダイヤル式かぁ、これまた古風な」
隣でトド松がぼやく。「お前ならチョロイだろ」と背中を叩けば、満更でもなさそうな声で「まっかせといてよ」と返ってきた。
真剣な表情で金庫に耳を当てるトド松を邪魔してしまわないように、音を立てずに床に伸びている警備員と家主をまとめて縛る。これで万が一目が覚めたとしてもすぐには捕まらないだろう。
「そこまでだ、こそ泥め!」
突如部屋の扉が開いて二人の刑事が部屋に飛び込んできた。おそ松が突然のことで一瞬固まっていると、背後で「開いた!」と歓喜の声が上がった。
「でかした!さっさと俺らも逃げるぞ!」
「オッケー!」
金庫の中から目当ての宝石だけを抜き取ったトド松の手を引いて、窓ガラスをぶち破って部屋から脱出する。トド松を抱えて隠して持っていたハンググライダーの翼を開く。夜風を受けながら屋敷を抜けているとトド松が不服そうにガスマスクを外して「これ、すっごくださいんだよなあ」と零した。
「まあ、それのおかげで顔見られなかったからいいじゃねえの」
「そうだけどさー」
むくれている末弟をどう宥めようか考えていると三男の「みんな脱出できた?」と心配する声が聞こえた。早々に屋敷を出ている手筈なので、チョロ松も十四松も無事なのだろう。
「心配するなブラザー。俺と一松はパーフェクトだぜ」
「黙ってろクソ松」
どうやらカラ松と一松は問題なく脱出できたようだ。もっとも、カラ松は帰宅するまで一松に手を上げられなければという条件がつくが。
「こちらおそ松。無事に宝石もゲットできました!」
嬉々として報告するとイヤホンの向こうからそれぞれの歓声が聞こえた。いつの間にか腹の虫が治まったらしいトド松が「僕のおかげだから!このクソ長男は何もしてないから!」と叫んだ。
◇ ◇ ◇
「今度は新聞にも出てるよ」
翌日だらだらと時間を貪っていた兄弟にチョロ松が新聞を投げた。一斉に開いた紙面には月を背にグライダーで滑空する二人が写っていた。
「すげー!写真まで載ってる!これ兄さんたちっすか?」
興奮気味に十四松がカラ松と一松に問う。問われた二人は顔を見合わせて首を傾げた。
「いや、たぶん俺たちじゃないな」
カラ松が否定すると「あ、これ俺らか!」とおそ松が膝を打った。
「これで俺もビッグなカリスマレジェンドに近づいたってわけだ!」
「顔は写ってないけどねぇ」
はしゃぐおそ松に釘を刺すトド松もどことなく嬉しそうだ。ネットニュースだけでなく新聞にも取り上げられていることも嬉しさのひとつだろう。
「さて、今度はどこに盗みに入りますかねえ」
懐から取り出した琥珀を光にかざしながらおそ松は目をうっとりと細めた。
もえぎちゃんの怪盗松設定を借りて書いてみたお話。
ルパンとキャッツアイと伊坂作品の「陽気なギャング」シリーズしか引き出しがないので怪盗と言っても雰囲気だけ。中盤でカラ松の呟くセリフはそのまま陽気なギャングシリーズから引用しました。