たいせつなものが傷つくことを恐れるのはいけないことですか?

 朝、目覚めた時から小十郎は胸のざわめきを自覚していた。嫌な予感とはえてして的中するもので、例に漏れず小十郎の胸のざわめきは主、政宗が部屋から出てこないという事実で的中した。
「政宗様」
「……なんだ」
 障子越しの返答にいくらか安堵する。
 しかし、返答の前の奇妙な間といつもより低いくぐもった声に小十郎の不安が膨らんだ。
「開けてよろしいですか」
「……No」
「何故」
 沈黙が訪れ、小十郎は障子の向こうにいるはずの政宗の気配を窺う。身動き一つしていないらしい政宗の呼吸だけが伝わってきた。
 身を焦がさんとする不安あるいは心配に堪えかね、何度も障子を開けたい衝動に駆られる。しかし政宗が開けるなと言った以上、小十郎から行動は起こせず拳を固く握るしかなかった。
「出たくねぇんだ」
 今にも消えそうに掠れた声を小十郎の耳は拾った。
「オレ、もう嫌だ。これ以上誰かが死ぬのは見たくない。伊達軍を……、小十郎を失うのが怖い。お前らが傷つくのが怖い」
「……政宗様」
「嫌なんだよ!怖いんだよ、小十郎!もう何も失くしたくねぇし、傷つけさせたくねぇんだ!オレは、……オレはお前らが、お前が、笑ってくれればもう……」
 小十郎は政宗の心情が嫌という程理解できた。政宗が幼少期に受けた理不尽を、小十郎もまた少し違う形で経験していたからかもしれなかった。
 それでも小十郎は主君の、ひいては奥州のため苦言を呈した。
「だからそうやって閉じ籠っておられるのか。傷つけないよう、失わないよう。政宗様、本当にそれが正しいとお思いか。目を瞑って、耳を塞ぐことが。それでは逃げていることと変わりありますまい。あなた一人逃げられても、誰も傷つかないとは限らない」
「黙れ!お前に、……お前にオレの何が!」
 顔は見えずとも小十郎は政宗が泣いているだろうと覚った。政宗自身が逃げていることを理解していることも、それでも閉じ籠らずにはいられないことも同時に小十郎は知っていた。たった一枚の障子に隔てられているだけにも関わらず政宗は孤独感を抱いていることも。
「御命令に背くことをお赦し下され」
 勢いよく開けた障子の奥で案の定政宗は隻眼からぼろぼろと涙を零していた。想定していたことといえ、小十郎は目の当たりにして鼻の奥がつんと痛んだ。
 驚きで固まっている政宗を優しく抱き締めて小十郎は諭した。
「嘘だとお思いだろうが、政宗様のお気持ちは痛い程分かります。それでもあなたは戦場に行かねばなりませぬ。あなたの肩には奥州がかかっております故。失いたくないと欲するならば、政宗様が先頭に立ってお護りください。真っ先に敵の首をとって戦を終わらせください。さすれば伊達軍が欠けることはありますまい。だから、閉じ籠ってはなりません。あなたは奥州筆頭だ。政宗様無くしては何も始まりませぬ」
「小十郎……」
「政宗様、家臣としてあなたの御命に背き、かつ差し出がましい行為、失礼致しました」
 小十郎が体を離し深々と頭を下げると、くすりと政宗が笑い声を漏らした。
「お前には敵わねぇな」
 小十郎が顔を上げると政宗は眉を下げて笑っていた。
「……オレが、護ればいいんだよな」
「その通りにございます。それに攻撃は最大の防御です」
「そいつはcoolだ」
 腰を浮かせた政宗に小十郎が理由を問うと、「稽古に付き合え」と政宗は歯を見せた。火がついた瞳を目にした小十郎は微笑んでこれに応じた。

お題:確かに恋だった
主従って、いいよね。

2011.02.06