青天の霹靂

 ニートの朝は遅い。それが冬ともなれば格別に遅い。六人分の体温で温められた布団から抜け出すことは至難の業だ。窓の外が明るくなろうとお構いなしだ。例え目が覚めてしまったとしても、温かな布団から這い出て階下のこたつに潜り込むまでの冷え冷えとした廊下を想像すると身が竦んでしまう。
 寒い。
 寒さで一松の意識は急激に浮上した。手足が冷え切っている。反対の端で寝る十四松が布団を巻き取ってしまったのだろう。いつものこととはいえ、寒いものは寒い。手探りで布団の端を見つけると一気に引っ張る。体を覆えるだけの布団を確保すると、一松はそっと目を開けた。とカーテンの隙間からうっすら朝日が差し込んでいる。家中しんと静まりきっているから、まだ夜が明けたばかりなのだろう。こんな早朝に目が覚めてしまったが、二度寝するにかぎる。手足の暖を取るべく、一松は体を反転させた。ちょうど寝返りをうったカラ松と向かい合う。すやすやと寝息を立てる兄は、普段の痛々しさなど鳴りを潜めたようなあどけない表情を浮かべていた。
 やっぱり僕らは六つ子なんだな。
 鼻先まで布団に埋め、しげしげと兄の顔を眺める。こうしていたら、どちらが兄でどちらが弟だかきっと分からない。
 不意に悪戯心が首をもたげた。冷え切った一松の足をカラ松に絡め、手を握る。突然の冷たさにカラ松の体がわずかに跳ねた。そんなことは構わない。ぬくぬくと温められたカラ松の体温が心地いい。手足が一気にほぐれていくかのようだ。
 一松。
 呼ばれた気がして顔を覗き込む。しょうがないなというような表情を浮かべたカラ松と目が合った。さっきので起こしてしまったようだ。冷えた一松の両手が優しく握りこまれる。
 こんな幸せなこともあるなら、寒い朝も捨てたもんじゃないな。
 一松が目を細めると、カラ松もゆるくはにかんだ。

◇ ◇ ◇

「あのさあ、お前ら僕に隠してることない?」
 スパンと障子を開けるやいなや、カラ松と一松を見下ろしてチョロ松が口火を切った。猫よろしく、こたつで丸まっていた一松は身を起こす。カラ松は手鏡を持ったまま固まっているのが見えた。チョロ松はいそいそと自分の分の緑茶を淹れ、改めて口を開いた。
「あれ? 聞こえてたよね?」
「……え、うん」
「じゃあいいんだけどさ。僕、ずっと聞きたかったんだよね。なんかお前ら変だな、って思ってて。まあ、どこが変かってうまく言えないからイマイチ確信には至らなくて。機会があったら聞こう、聞こうと思ってたんだよ。ちょうどお前らだけでよかったよ。でさあ、なんか僕に隠してることとかない?」
 隠していること、と漠然といえば思い当たる節はいくつもある。いくら一つ上の兄だからといって、何もかもを共有しているわけではない。当然だ。それをわざわざ晒そうというのも野暮だと思うものの、余程気になっていたことなのだろう。
「そんな急に聞かれても」
 一松は口ごもる。
 一松ひとりに尋ねられているなら何のことか分からないが、チョロ松はお前らと言った。カラ松と一松の間にある秘密ならいくつか、いや、いくつもある。秘密しかないと言ってもいいかもしれない。気づけば暴きだされたくないことの方が多くなってしまった。
 この兄は、そこに触れたいのだろうか。
 どう答えたものか考えあぐねていると、カラ松が盛大に指を鳴らした。
「ハハーン? さてはチョロ松、この俺のカッコよさの秘訣を聞きたいんだな? そうだろう?」
「そんなわけないだろ」
 チョロ松はあっさりと一蹴した。さすがサイコパスだな、とカラ松に感心しながら一松は緑茶を淹れる。どこでネジを落としてきたのかと言いたくなるほどの会話の飛躍には、なかなか慣れない。場を濁そうというときもあるが、本気で言うときもあるから余計に厄介だ。今のはどちらだろうか。前者である可能性の方が高いけども。
「あ、一松、俺にも」
 カラ松が伸ばした手に、なみなみまで茶を注ぎぶっきらぼうに湯呑みを渡す。多少こぼれても問題ない。溢れんばかりに注いだ。逆にそのせいでこぼれるとも言えるが、一松はわざわざ謝らないし、カラ松も責めることはない。  チョロ松は二人を交互に見比べて、納得がいかない顔をしていた。
「やっぱり変じゃない?」
「変、って言われても僕らに自覚がないと何も言えないよ」
「だから、それがうまく言えたら苦労しないんだって。なんだろうなあ。例えばドラマで殺人事件が起きて、犯人を庇う奴とかいるじゃん。あ、コイツは犯人と繋がってんな、って観てて気づく感じ。あんな感じなんだよ。共犯者、って言えば伝わる? お前らにもそんな空気が流れてるんだよ」
 共犯者。言い得て妙だな、と一松は感心する。
「共犯者、か。かっこいいな」
 言葉の響きを気に入ったらしいカラ松が顔を綻ばせる。せっかく顔を決めようとしているのに嬉しさが勝って間抜け面になっている。可愛いところもあるよな。思わず上がる口角を隠すため、湯呑みに口を付けた。
 チョロ松は嬉しそうなカラ松を冷ややかに一瞥し、一松に視線を戻した。カラ松では本題に入れないと判断したのか、疑問を全て一松に投げかける気のようだ。
「で、どうなんだよ、一松」
「隠してることの一つや二つ、チョロ松兄さんもそうだろうけど、俺にだってあるよ」
 はぐらかすように答えつつも、全部話さないと引き下がらないだろうなと一松は確信していた。自分の納得できないことは納得するまで説明を求めるタイプだ。一番厄介な兄だと思う。
 同じく当事者であるカラ松の表情を窺う。いつものように話を理解しているのかしてないのか分からない、素っ頓狂な表情だ。チョロ松が何かを聞き出したいことは分かっていても、何を聞かれているのかは分かっていないのかもしれない。核心を突かなければ、伝わらないのだろう。あるいは、チョロ松はカラ松にとっては弟だから、きっと一松の感じる脅威はないのだろう。
「そういうんじゃないんだよなあ。確かに僕だって知られたくないこと結構あるけど、別にそれを洗いざらい吐けって言ってるわけじゃない。ただ単純に気になってもやもやするんだよ。分かるだろ? それにさ、僕は上から数えたらお前らの間にいるんだよ。やっぱり違和感くらいは覚えるし、なんとなくくらいは分かるよ」
 このままでは埒が明かない。言ってしまえば済む話だ。
 しかし、話の流れから察するにチョロ松は、まさか目の前の兄弟が恋愛関係にあるとは思っていない。かといって、パチンコの儲けを二人で山分けしてるような軽い話だとも思っていない。違和感の正体だけ全く掴めずに苛立ちだけが募っているのだろう。
 空気が悪い中、安易に告白するのは得策ではない。そもそも一松は口の回る兄に対し、一人で立ち回れるほど器用ではない。できれば一旦席を離れてカラ松と対応を練りたいが、不自然だし、より険悪な空気になりそうだ。
 せめて、カラ松が状況を理解してくれれば幾分かマシなのに。
「確かに、俺と一松は共犯者かもしれないな」
 一松が口を開くより先にカラ松がゆっくりと答えた。一松が何とかはぐらかしている間に、カラ松はカラ松で結論を出したに違いない。さすがにバカじゃないことくらいは分かっていても、一松は胸を撫で下ろした。
「カラ松、それ、どういうこと?」
「そのままの意味さ。俺と一松はトップシークレットを共有している、ということだ。傍から見たら共犯者に違いない」
「何だよ、その秘密っていうのは」
 言い回しこそくどく感じるが、答えを示そうとするカラ松に対し、チョロ松は矢継ぎ早に質問する。カラ松が勿体ぶって話すから、余計にチョロ松が質問攻めしているように感じる。聞いているだけで息が詰まる。
「秘密は人に言えないから秘密なんだぜ、チョロ松」
「そんなこと百も承知だし、自分でも無粋だと思うけど、気になって仕方ないんだよ。その言い草だと、やっぱり心当たりはあったんだな? 散々はぐらかしてたけど、そんなに言いたくないことなわけ?」
「そうだな。いずれは言おうと思っていたことだが、俺の――いや、俺達のタイミングもあるから簡単に言えないんだ」
「……そう」
 チョロ松の勢いが落ち着く。タイミングがどうとか関係ない、と言い出しかねいと一松は覚悟していたが、杞憂だったようだ。カラ松の言った言葉を追いかけるかのようにチョロ松の視線が宙を彷徨う。興味が消えたわけでは決してないだろうが、息つく間もないほど問い詰められることはなさそうだ。
 感謝の意を示そうとカラ松に顔を向ける。目が合った。カラ松の唇がゆっくり動く。
 言うのか。
 そう動いて見えた。このままチョロ松にも告げるのか、と聞いているのだろう。一松は顎を引いた。それを見て、カラ松は口の端を上げて同意を示す。
「どうしてそんなにも言おうとしないのか僕には想像が及ばないけど、お前らの言うタイミングとやらが来るのを待ってるだけっていうのも気分は晴れないし、やっぱり今教えてほしいんだけど、ダメなの?」
 チョロ松がカラ松に向かって問う。カラ松が答えようとするのを一松は遮った。
「いや、今言うよ」
「一松」確認するようにカラ松が声を上げる。
「カラ松も言ったけど、どうせいずれ話すつもりだったんだ。今まで黙っててごめん。ただ、それくらい僕にとっても、こいつにとっても、そしてたぶんチョロ松兄さんにとっても、重い話だということを念頭に置いてほしい」
 真剣な口調にチョロ松が唾を飲み込む。
 一松は深く息を吸う。喉の奥がひどく渇いて貼り付いてしまったかのようだ。柱にかかった時計の針の音がやけに耳につく。これが初めてではないと分かっていても、緊張しないわけがない。どうやって声を出せばいいかも分からなくなりそうだ。二人分の視線を感じる。俺が言うと決めたんだ。こういうときに逃げてはいけない。幸せにしたいと、幸せになりたいと願ったのは他でもない俺だ。俺自身だ。
 一松は意を決した。
「俺、カラ松と付き合ってるんだ。いわゆる恋人ってやつなんだ」
「は?」
 間髪を入れずチョロ松の声が返ってくる。
 たった一音に痛いほど感情が乗っていて、スッと体の芯が冷えた。
 今までで一番きつい言葉が出てくるかもしれない。一松は思わず拳を握った。
「いや、ちょっと待って、黙ってたことって本当にそれ? 冗談でしょ? 軽率に聞き出すような真似した僕が悪かったとは自覚してるけど、それにしてもこんな冗談、笑えないよ?」
「チョロ松――」
 カラ松が呼びかけたのも無視して、チョロ松はせせら笑う。目だけが全く笑っていない。
「一松と、カラ松が恋人? ありえないでしょ。だってそもそも僕ら兄弟じゃん。そんなこと本気で言ってるわけ?」
「冗談で、こんなこと言わないよ」
 チョロ松の言葉を遮る。声が震えていたことに気づかれていないといい。愚図で社会不適合者の僕に、そもそもかっこいいところなんてないかもしれないけど、少しくらいカラ松の前で良いかっこしたいじゃないか。まずは話を聞いてもらわないと。
「本気なの? じゃあ尚のこと問題だよ。男同士だし。じゃあお前らホモなわけ? 俺は嫌だよ、兄弟がホモだとか。気持ち悪い。兄弟っつうか、俺ら六つ子だからね? 同じ顔じゃん。いっそとんだナルシシズムじゃねえか」
 明け透けに言われて、目の奥がツンと熱くなる。覚悟していなかったわけではないが、あまりにも直球の拒絶で悲しいと思う前に体が勝手に泣いているみたいだ。カラ松も唇をきつく結んでいる。
「たしかに僕らは僕で僕は僕らだけど、それでも決して自己愛なんかじゃないよ。それに元から男が好きだったわけでもない。気持ち悪く思われても仕方ないし、僕がチョロ松兄さんの立場なら同じように拒絶するだろうと思う。それでも僕は――僕とカラ松は本気なんだ」
「全くもって理解に苦しむね」チョロ松の眉間に深く皺が刻まれる。「お前らの本気って何? いいか? 僕らは六つ子で男なんだ。となると、お前らのソレは同性愛でもあり近親相姦でもあるんだ。法的に、社会的に結ばれることは絶対に有り得ない。それでどうやって本気だと他人に見せつけるんだ?」
 同性愛で、近親相姦。
 将来を考えたときに容赦なく立ちはだかる壁だ。一松だって繰り返し繰り返しその壁と向き合った。何度考えても覆ることのない壁。これがまだ他人であれば良かった。どちらかの性別が異なっていれば良かった。顔立ちが似ていなければ良かった。何度も起こりえないことばかり思い浮かんだ。
 それでも一松は、同性で同じ顔をした兄弟だからカラ松を好きになったわけで、前提が変わればこういう結末は迎えなかっただろう。
 だが、どうすればそれがチョロ松に伝えられるのか分からない。
 気持ちだけが急いてしまって、言葉がうまく出てこない。喉の奥がカラカラだ。
 心配そうに見つめる瞳が一対。反論の言葉を急かすように見つめる瞳が一対。二対の視線で、一松の身体は灼けてしまいそうだった。
「他人には、見せつけなくて構わない」
 ようやく喉の奥から言葉を引きずり出す。
「社会から認められたいわけじゃない。ただ、そんなありえないことだらけの状況でも、僕の持ってる感情は覆らない。本気って、そういう意味だよ」
 そうだ。結婚できなくても、子どもは作れなくても、それでも手を取り合って一緒に生きていたいのはカラ松なんだ。僕は本気だ。
 グッと一松は唇を噛み、次に飛んでくるであろうチョロ松の言葉に耐える。
「……結婚もできないし、子どももできないんだよ? 結婚式挙げて、みんなから祝われる未来もない。言えば蔑まれる、理解も得られない。そんな茨の道でもいい、ってそんな本気なんだよな?」
 語気を削いだチョロ松の質問に、一松はカラ松と目を見合わせ、静かに顎を引いた。
「そう。だったら、もう僕から言うことはないな。まだちょっと鳥肌は立ってるけど。お前らの覚悟がよく分かった」チョロ松はぬるくなったお茶を一気に飲み干す。「キツイ言葉を言って悪かったな」
「いや、こっちこそこんな話をしてごめん。最後まで聞いてくれてありがとう」
 一松は深く頭を下げた。
「謝ることじゃないよ。僕も散々言ったわけだし、そもそも僕がつついたことだ」とチョロ松は肩を竦めた。「こういうのを藪蛇って言うんだろうなあ」
「フッ、とんでもない大蛇だったな」
 髪を掻き上げ、カラ松が得意げに言う。チョロ松は冷ややかな視線をカラ松に投げかけながら「本気だっていうお前の趣味を疑うよ」と一松に告げた。
「俺もそう思う」
 張り詰めた空気が嘘のように弛緩する。こういう切り替えの早さは兄弟で似ているところだとしみじみ思った。
「ひとつ聞きたいんだけど、他のやつらには言ったの?」
「ああ。それぞれに直接言ったな」
 一松より先にカラ松が質問に答えた。
「僕が最後だったってわけか」
「そうなるな」
「じゃあ、母さんたちには言うの?」
「今のところは言わないつもりだ」
「それがいい。きっと聞いたら卒倒しちゃうよ」
 落ち着いたせいか言葉少なにやり取りする兄二人を眺めて、一松はそっと肩を回す。緊張で体のあちこちが強張っていた。
 これで幾分か肩の荷が下りた。長かった冬ももうすぐ終わる。まだ考えなくてはいけないことが山積みだが、それでもこれで一段落だ。
 炬燵に顔を埋めるように背中を丸める。温かくで瞼がゆるゆると下りてくる。
「一松、起きろ。炬燵で寝ると、風邪ひくぞ」
 カラ松に揺さぶられ、一松は目を開ける。どうやら眠ってしまったようだ。一瞬にも何時間にも感じられる。
「チョロ松兄さんは?」
「用事があるとかでさっき出掛けた。俺達もメシでも食いに行かないか?」
「いいね。行こうか」
 立ち上がったとき、心なしか体が軽く感じた。

これでようやく兄弟への告白は終わり。あと1話だけ続きます。

2017.01.04