仲良きことは美しき哉

 次男と末弟は仲がいい。
 それが、四男松野一松の抱いている印象である。

「カラ松兄さん、またそのキラッキラのズボン履く気?ほんとイっタイよねえ。僕、そんなんと並んで歩きたくないから着替えて!僕が見繕うから!」
 今日も末弟は次男と出かけるらしい。兄弟揃いのパーカーに派手な青いズボンを合わせた次男を見て、信じられないと言わんばかりに末弟が吠えた。彼らが揃って出かけるたびにトド松は帰宅するなり愚痴るのだ。いい加減カラ松と出かけるのかカラ松のイタイ格好かどちらか諦めればいいのに、と一松はその様子をぼーっと眺めている。
 見事に末弟の着せ替え人形と化した次男は、それでも弟に構ってもらえるのが嬉しいのか逆らうでもなくトド松の言いなりになって次々と着替えていく。黙々とカラ松を着替えさせながらもトド松の口は止まることを知らず、よくもまあそんなに喋れるなと一松は感心するばかりだ。
「よし、こんなもんでしょ!」
 満足そうに宣言するトド松の声を聞いて一松がついと視線を向ける。女子受けしそうな、しかしそれでいて比較的可愛らしい格好をしたトド松とは正反対に、好青年といった風の所謂かっこいい姿のカラ松が視界に入った。
「見てよ、一松兄さん!なかなか上出来じゃない?」
 一松の視線に気づいたトド松が意見を伺う。トド松の自信たっぷりな視線と、カラ松の期待に満ちた眼差しに、一松は頭を掻いて「いいんじゃねえの」と返すのがやっとだった。一松は他人を称賛する言葉が豊富な方ではない。遠回しな賛辞でも兄弟には十分伝わったようで、そっくりな笑みを浮かべた。
「じゃあ、行ってきます」
 トド松が楽しそうにカラ松の腕を引いて部屋を出ていった。することもない一松はずるずるとソファに体を横たえて目を閉じる。

 カラ松とトド松は仲がいい。それは幼少の頃からで、ちっとも不自然ではない。一松も一つ下の弟である十四松とは幼い頃から行動を共にしていただけあり、未だに他の四人とは違う居心地の良さを十四松に感じる。恐らく彼らもそれと同様なのだろう。
 それでも、トド松が一番良く出掛けるのはいつだってカラ松である。一松はそれが不思議でならない。昔ならいざ知らず、口を開けば意味の分からないことを言う兄と出掛けたいかと問われればトド松ですら否と即答するのだ。にもかかわらず、末弟は楽しそうに兄を誘って行く。一松には弟の心境がよく分からない。

「なあ、トッティ」
「……その呼び方やめてよね、一松兄さん」
 いくら考えても一松の疑問は消化されず、ある日本人に直接聞くことにした。
「クソ松と出掛けて楽しい?」
 言葉少なに問うとトド松は少し考えるふりをして「楽しいというよりラクだよ」と肩を竦めた。さらに問えば、普段すらすらと言葉を紡ぐ末弟は口を閉ざして考え込んだ。
「一松兄さんもそうだけどさ、カラ松兄さんってあんまり喋んないでしょ?聞き上手っていうかさ。喋ってて落ち着くんだよね。気遣わずに喋れる相手ってカラ松兄さんになるんだよね」
「十四松とかは?」
「十四松兄さんはちょっと違うかな。聞き上手って感じじゃなくない?一緒にいて楽しいけどね。僕のこと可愛がってくれるし」
 そりゃあ十四松にとってトド松は唯一の弟だから可愛がりたくもなるだろう。一松は愛されたがる末弟の言い分を尤もだと思った。
「おそ松兄さんとチョロ松兄さんは下手したらペースを持っていかれるから嫌だな。何よりあんなクズと出歩きたくない」
「それ、チョロ松兄さんにタレこんでいい?」
「いいわけないでしょ!一松兄さんはそういうところがあって油断できないからヤダ」
「ヤダってなんだよ、可愛くないぞこの末弟」
 一松が足で可愛げのない弟を攻撃する。きゃーきゃー声を上げて攻撃から逃れていたトド松は、はたと動きを止めて真剣な表情を浮かべた。突然のことに驚いて、一松は攻撃を止めてトド松が口を開くのを待った。
「あとは、なんていうか刷り込みかもしれない」
 刷り込み、と繰り返すとトド松は笑って頷いた。
「小さい頃からさ、おそ松兄さんとチョロ松兄さん、カラ松兄さんと僕、一松兄さんと十四松兄さんって感じだったじゃん。それでしっくりくるのかもしれない」
「なんとなくわかる」
 口の中で一松が刷り込み、と反芻しているとがらりと障子が開いた。
「仲良さそうだな、お前ら」
 微笑ましげにカラ松の目が細められる。トド松がそれを見て何かを思いついたかのように手を叩いた。
「そうだ、一松兄さん明日暇でしょ?一緒に出掛けようよ!」
 一松は俺の予定は無視か、一体今のカラ松の発言で思いつくんだと言いたいことはたくさんあったが、一松が口を開くより先にトド松が「ね、カラ松兄さん、いいよね?」とカラ松に問うものだから一言も発せずに終わった。きょとんとしたカラ松と顔を見合わせてから、一松ははしゃぐトド松を見た。
「明日はカラ松兄さんの奢りでバーに行く予定だったんだよね。楽しみだなあ」
 二人の兄を置き去りにしてトド松が嬉しそうな声を上げた。

「まだ起きてるか?」
 ひそめられた声に、修学旅行の学生かよと思いながら一松は声を掛けてきた兄の方に向き直った。
「何、子守唄なら間に合ってるけど」
 カラ松より向こうに眠る兄弟達を起こしてしまわないように、同じように声をひそめて返事をする。ぶっきらぼうな声になったのは一松の本意ではない。それを知っているカラ松は眉を下げた。
「いや、そうじゃないんだが」
 言葉を探してカラ松の目を宙を泳ぐ。一松はそれを眺めながら昼間のトド松の言葉を思い出していた。口数だけで言えば少ない部類に入る一松とカラ松の会話は沈黙が多い。お互いに適当な言葉を探すのに、気の利いた言い回しを思いつくのに時間がかかるからだ。だからトド松のようによく頭も口も回る兄弟との会話は聞き役に回るしかない。特に言葉選びに慎重な次男が、ただ話を聞いてほしい末弟の需要に見合うことなどある意味当然の摂理だ。
「昼間の話?」
 カラ松の言葉より先回りして尋ねると、すんなりと肯定が返ってきた。それ以上は先回りできないので、一松はカラ松の手に自身の指を絡める。この体温を通して考えてることが伝われば楽なのになあ、とぼんやりと思った。
「その、突然で迷惑だったんじゃないかと思ってだな」
「なんで?」
「あのトド松の誘い方は少し強引だっただろう?」
 確かに強引ではあったが、トド松の言いたいことが分からないほど一松は頭の回らない男ではない。それを正確に目の前の男に伝えるにはどうしたらいいだろう。すり、と無意識に指がカラ松の指を撫でる。それを止めたいのかカラ松がやんわりと絡めた手に力を込めたので一松は撫でる指を止めた。
「俺がトド松に聞いたんだよ」
 カラ松が柔らかい瞳で続きを促している。言葉が出るまで待ってくれる優しい時間が一松は好きだった。陽だまりの中で微睡むような柔らかい沈黙と空気のどうしようもない心地良さはカラ松としか得られないと思っていた。口数の少ない者同士でなければ得られないものだ。
「いっつもあんたと出掛けるから楽しいのかって」
「うん」
「そしたらアイツ、気遣わずに喋れるのがラクだって言ってたよ」
「それは、嬉しいなあ」
「あと、刷り込みもあるかもって」
「刷り込み」
 昼間、一松が繰り返したようにカラ松は一松の言葉を繰り返した。
「確かに昔は一緒にいることが多かったからなあ」
 カラ松は嬉しそうに喉をくつくつと鳴らした。
「刷り込みって言われたら納得するしかないんだけど、たぶん、トド松は俺も一緒に出掛けたら、その刷り込みじゃないところが俺に伝わるかもって思ったんだと思う」
「そんな話をしてたんだな」
 すり、とカラ松の指が動く。なんとなくくすぐったくて、一松はぎゅっとカラ松の手を握って動きを止めさせた。
「こんなことを言うと怒られそうだけど」
「うん」
「一松と一緒に出掛けられると思ってなかったから嬉しい」
「うん?誰に怒られそうなの?」
「トド松にも、一松にも」
 意味が分からず一松は黙って続きを促す。
「一松とも出掛けられるのが嬉しいと思ったことをトド松に、そうやってトド松に申し訳ないなって思ったことを一松に怒られるかな、と思って」
「怒らねえよ。俺も、トド松も」
 安堵したように笑う兄を見て、自分も砂を吐いてしまうくらい優しい顔をしているんだろうなと一松はぼんやりと考えた。繋いだ指先から体温が融け合って境界すらも分からなくなる。どちらともなく「寝るか」と呟いて、眠りの世界へ落ちていった。

「もー!二人ともありえない!そんな格好の兄さん達と僕歩きたくないから!」
 日も傾き始めた頃末弟が吠えた。これだから弟と出掛けるのは面倒なんだ、と一松は溜息をついたが口には出さず弟にされるがままになる。大概一松も弟に甘い。
「今日連れていってくれるのいいところなんでしょ」
 トド松がカラ松に確認する。その間も一松を着せ替える手は止まらない。本当に同じ六つ子なのかと一松は疑いながら渡された服を被る。
「ああ、もちろんだ。トド松は前にも連れていっただろう?」
「分かった、良い感じのマスターがいるところだね。いいよね、あそこ。オトナの隠れ家って感じでさ」
 前回のことを思い出したのかうっとりとトド松が目を細めた。話題に置いていかれた一松に「きっと一松も気に入る」とカラ松が口角を上げる。得意げな顔の兄にイラッとして太ももを蹴った。一松の思っていた以上に小気味いい音が響いてカラ松が悶絶する。
「うわあ、今の痛そう」
 トド松は僅かに眉を歪めたものの身支度の手は休めず、追い打ちのように「カラ松兄さんはこれ着てね」と倒れる兄にバサバサと服を投げていた。
「お前も大概だよ」
 のそりと起き上がって投げられた服に着替えるカラ松を眺めて、一松は呆れたように弟に声を掛ける。トド松は「愛情表現だよ」とにんまり笑った。
「僕の目には狂いはない!行こっか、兄さん」
 すっかり仕立て上げられた兄二人を見てトド松はご満悦の表情だ。兄さんってどっちだ、と一松はカラ松と口を揃えて呟いた声はどちらも浮足立つ末弟には届かなかった。

 バーカウンターに一松、カラ松、トド松の順に腰かける。布団の並び順だな、とカラ松が呟くと弟二人は同じこと考えてたと笑った。
 注文を取る前にマスターがカクテルを三つ差し出してきた。一松がきょとんとしていると隣のカラ松が「予約していたから、それに合わせてマスターが作ってくれたんだ」と耳打ちしてくれた。並んだ三つのカクテルは紫、青、桃色でトド松が純粋な称賛を漏らした。それぞれ、ブルームーン、スカイブルー、ミリオンダラーとマスターが教えてくれた。「ブルー」なのに紫なのか、とグラスをまじまじと見つめているとカラ松が同じことを呟いて、嬉しいなと付け加えた。
「そういえば、誕生酒って知ってる?」
 ピーナッツに手を伸ばしながらトド松が尋ねる。グラスの中身は半分以上減っていて、一松はギョッとした。思わずカラ松の肩を叩き、大丈夫なのかと目で訴える。大丈夫だと同じように目線だけでカラ松が答えた。兄の顔をしたカラ松は頼もしく感じられる。グラスに口をつけてからトド松の話に乗っかることにした。
「誕生石なら知ってるけど」
「そんな感じ。でも、月ごとに決まってるんじゃなくて365日毎日決まってるんだよ。すごくない?」
 目を輝かせるトド松にカラ松が同意するように声を上げた。
「それはすごいな!よく知ってるなトド松」
 手放しに褒められてトド松は得意げに鼻を鳴らす。
「カクテル作るのが趣味っていう女の子がいて、その子が言ってたんだ。僕たちの誕生酒もその時教えてもらったんだよね。せっかくだから飲んでみようよ」
「どうする、一松?」
「いいじゃん、作ってもらえば」
 いかにも興味あります、という顔に二つ並んで見つめられれば一松に断るという選択肢はなかった。それに一松自身も興味があったので断る理由もなかった。
 トド松がマスターにカクテルの名前を告げるのを横目にピーナッツを口に放る。一松はふと生じた疑問をトド松にぶつけた。
「さっきさ、365日毎日あるって言ってたけど、2月29日とかもあんの」
「そうやって一松兄さんはすぐ揚げ足を取るよね。ありますぅ。ちゃんと366日ありますぅ」
 拗ねる酔っ払いの目の前にピーナッツを差し出すと、むくれながらもぱかと口を開けた。そのまま放り込んだ一松はもう一つ手に取って、弟たちの会話を微笑ましく見つめていた次男の前に差し出した。
「ん」
 カラ松にしては珍しくすんなりと状況を理解し口を開けたので満足そうに一松はピーナッツを放った。もう一つ手にしたピーナッツはそのまま一松自身の口の中へ消えていった。
「お待たせしました、こちらサンジェルマンでございます」
 三つ並んで出てきたのはほのかに緑がかったカクテルだった。示し合わせずとも同じタイミングでグラスを掲げ、口をつけた。
「調べたらなんか特徴みたいなのが出てきたんだけど、出来る限りの協力を惜しまない努力家だってさ」
「フッ、まさに神に与えられた終わりなき試練に立ち向かう俺たちに相応しい」
「黙ってろよクソ松」
「協力を惜しまないって間違ってるよねぇ。足を引っ張り合うが正しいでしょ」
「まだ根に持ってんの、トッティ」
「……ほんとにやめて、闇松兄さん」
「それも試練」
「いいから黙っててよ、クソ松兄さん!」
 トド松は盛大に溜息をついてから姿勢を改めた。つられてカラ松も背筋を伸ばす。一松は猫背のまま末弟の方に向き直る。
「で、分かった?」
「何が」
「本人いる前で言わせんの?ほんっと鬼畜だよね。僕がカラ松兄さんと出掛ける理由だよ。何のために誘ったと思ってんの」
「冗談だよ。まあ、お前が楽しそうなのは十分伝わったよ」
 にやっと笑うとトド松は「そうじゃないんだけどな」と唇を尖らせた。渦中の人物は足を組んでカクテルを嗜んでいるという空気を醸し出していた。その口元が喜びで歪んでいるのに一松は気づいたがそっと見て見ぬふりをしてトド松に掛ける言葉を継いだ。
「トド松がラクだって言ってた意味はやっぱり分かんねえけど、楽そうだなっていうのは分かった。羽を伸ばしてるって感じがした」
「……何それ、僕そこまで言ってないよね?そんなにやにやした顔で見ないでくれる?っていうか、カラ松兄さんが嬉しそうに震えてるのも癪だし、何なの!」
 暗がりでよく見えないし、酔いが回っているせいもあるけど顔を赤くしたトド松を一松は微笑ましく見つめた。ちらりと視線を動かせば嬉しさのあまり顔を覆って肩を震わせているカラ松がいる。兄弟揃って直球は苦手らしい。自分もそうか、と思い直して一松はピーナッツを手に取った。

 カラ松とトド松は本人たちが思っているよりも仲が良さそうな空気を出している。
 それが一松の率直な感想である。

 この後、三回に一回の頻度で二人が出掛ける際に一松が巻き込まれるのはまた別の話である。

好きなんだよね!一カラと兄弟が絡んでるの!
作中に出てくるカクテルはどれも飲んだことがないので実際の色とは違うかもしれません。あと、誕生酒は検索したら出てきます。なかなか面白いですよ。

2015.12.25