声がする。
民衆の声か、友人のか、はたまた兄貴のか。もしかするとその全員の声かもしれない。俺の中で鐘のように鳴り響く声、声。一度聞こえ始めるとこびりついて離れない、切実な叫び。
「ドイツ、」
声が反響し続ける頭で、耳で、上司の話に意識を向ける。わざわざ俺が呼び出されるということは深刻な状況である確率が高い。いや、高確率どころではない。現状、それこそが深刻なのだ。上司の怖いほど静かな声に悪寒が走る。
「我々は選択しなければならない状況下にある。それは貴方も重々承知しているだろう」
「その通りだ、閣下」
「勇敢で聡明な我らがドイツよ、貴方なら我々が次に言う言葉ももう分かっているはずだ」
俺は情けないことに返事の代わりに静かに目を伏せることしかできなかった。
分かってはいる、だが分かりたくはない。それを上司に言ったところで、あるいは言わなくとも、未来を変える術はない。選択の余地など、俺にはないのだ。
俺は子供のようにごねているだけだと分かっている。けれど、もう二度と血は見たくなかった。国が平和を望んで、理想を語って何が悪いのだ。
悶々と悩む俺に追い討ちをかけるように、上司が再び口を開く。
「ドイツ、我々はもう決断したのだ。国民はそう望んでいる。ならば、武器を取るしかないだろう?」
「分かっている! だが……」
俺は別の方法を模索したい。思わず荒げた声の続きは、荒れ狂う人々の渦中にいるかのような耳鳴りによって外には出てこなかった。
『奴らに武力をもって分からせるんだ!』
『武器をとれ!』
『戦える者は我らが祖国のために!』
老若男女の熱っぽい数多の声の波が襲いかかってくる。
俺は国だ。そして、民なくしては国とは言えない。これが国民の総意なのだと、俺の意志など関係ないのだと分からしめるかのように声が鳴り響く。
声を張ることなく淡々と上司は宣告する。そこに感情は存在しないとでも言うように。まるで聞き分けのない幼子を諭すかのように──。
「これで最後だ。我々はあくまでも戦う。貴方がどう言おうと我々は止まるつもりはない」
声の限りに叫んででも決定を覆したかったが、何故だかそれも叶わなかった。俺は一礼して部屋を後にする。
少し歩くうちにまた声がした。聞き慣れた少し高めの明るい声が。
『俺、戦うのは嫌いなんだ。自分が戦うのも、誰かが戦うのを見るのも』
いつもへらへらしてる癖に、そう言っていた友人のあの時の瞳は真剣だった。俺が戦うと知ったら彼は涙を流すのだろうか。それを思うと胸がちくりと痛んだ。
『我が国民は、敵前逃亡を、降参を潔しとはしません。誇りを汚すくらいならば自らで命を絶ちます』
全く反対のことを言う別の友人の声。平和を尊ぶにもかかわらず、どこにそのような情熱を秘めているのかと驚くほど、激しい。
一旦戦えば退けないことは分かっている。いや、俺だって退くことを潔くは思わない。だけど、いや、だからこそ──。
『いいか、ヴェスト。お前は俺みたいになるなよ』
幼い頃、戦争ばかりしていた兄貴の俺を諭したあの時の真っ直ぐな声。
『お前は俺と違って立派な国だ。ヴェスト、お前は護るために戦え』
声がする。上司、国民、友人、兄貴の声が。
上司は選択と言った。だが答えは決まっている状況で、俺はどう選択すればいい。俺に何を望む。
戦え戦うな戦え戦うな戦え戦え戦うな戦え戦え戦うな戦え戦うな戦え戦え戦え戦うな戦え戦え──。
声が止んだ。
急に訪れた静けさで逆に耳が痛かった。はりつめた空気が肌を刺激する。
ひとつ深呼吸。迷いは無い。腹はくくった。
ついと空を見上げればそこは静かに青く澄んでいた。
何やら頬に温かいものが伝ったの感じる。視界がぼやけたことで自分が泣いていることを知った。
何故泣いているのか分からない。だが無性に声を上げて子供のように泣き叫びたかった。
いつか俺がまだこの感覚を覚えていたら、尋ねてみたい。
あれは正しい選択だったと思うか?貴方だったらどちらをとるか?
──いつか、いつかそう遠くない未来、俺が覚えていた時に。
企画『ある虚日のコト』様に提出。
二者択一には遠い分もありますが、書いた本人としては満足しています。参加してよかったです。
あまり書くとこの作品の雰囲気が崩れるかと思うので、余談は控えます。
参加させていただきありがとうございました。