「ヴェー、遅れてごめんね!」
バタバタと待ち合わせ場所に駆けてきたイタリアに溜め息を禁じえなかった。若干俺を見上げるイタリアの目に涙が浮かんでたのは、怒鳴られるのを予期したからだろう。
「涙目になるくらいなら遅刻をするな」
「う、……ごめん」
「大丈夫ですよ、イタリア君。私達も先ほど着いたばかりです。ねぇ、ドイツさん?」
日本に同意を求められて思わず首肯した。イタリアはそれを聞いて顔を輝かせたが、俺は知っている。日本は5分前に着いた俺のさらに前に着ていることを。そして、彼はいつからいたと言わないことを。
だから俺はイタリアに覚られぬよう少し前を歩き始めた日本に小声で尋ねた。
「日本、本当は30分前には着ていたのだろう?」
「爺は暇なんですよ」
JaともNeinとも言わなかったが、きっと30分前にはいたのだろう。日本はそういう奴だ。
「ねぇ、どうして急に俺達を呼んだの?」
イタリアがおもむろに口にした。それは俺も同意見だった。
急に昨夜日本から電話がきた。恐らくイタリアも同じなのだろう。日本はその時は、「見せたいものがあります」としか言わなかった。
「まだ言ってませんでしたね」
少し後ろを歩く俺達を振り返って、続けた。
「今、我が家では桜が満開を迎えています。是非お二人と花見をしようと思いまして」
にこりと笑うとまた前に向き直った。
「本当は桜のたくさんある公園に案内したかったのですが、生憎この時期は人が多くて……。私の家にも桜があるので、それで勘弁して下さい」
日本の背中しか見えないがきっと彼は困ったような顔をしているのだろう。並んで歩くイタリアと顔を合わせて笑ってしまった。
「代わりといってはなんですが、素晴らしい桜並木を通って行こうと思います」
「だから家に直接呼ばなかったのか」
「ええ。ご足労をおかけしてすみません」
「いいよ。俺もドイツも日本のワサビ好きだもん」
「……イタリア」
「え、何? なんで呆れた目をしてるの?」
「イタリア君、それを言うなら、わびさびですよ」
「ヴェ、俺何て言った?」
「ワサビ、だな」
「うわ、もう恥ずかしいなぁ」
そんなとりとめのない会話を楽しみながら歩くと、目の前に白い花弁が舞い下りた。
「着きましたよ」
日本の言葉に顔を上げると空を覆うように枝を伸ばす桜の木が視界いっぱいに広がった。
ピンクとも白とも形容し難い花と青々とした空のコントラストに目を奪われる。圧倒されて声が出ない。隣でイタリアが歓声を上げている。
「俺、何度も桜は見たことあるけど、毎回キレイだなって思うんだ」
イタリアが上擦った声でどちらに言うでもなく叫ぶ。
ようやく戻った声で俺も呟いた。
「ああ、とても綺麗だ」
「本当に綺麗ですよね」
私なんか毎年見てるのに、としみじみと日本が言う。
しばらく3人でただぼうっと桜を見つめていた。
ひらひらと舞い落ちる花弁に手を伸ばせば、ひとひら静かに手のひらに収まった。小さく白い花弁に思わず雪を連想してしまう。後で日本に漏らせば「ドイツさんだけじゃなく、私も他の方も重ね合わせてしまうんですよ。それに桜吹雪だって雪という字が入ってますし」と笑っていた。
突然、ぐーっと間抜けな音が鳴った。驚いて音のした方に顔を向けると、イタリアが照れたように鼻を掻いた。
「そろそろお昼ですからね」
日本が優しく笑って、イタリアの頭を撫でた。
まるで爺さんと孫みたいじゃないか、と思ったが、実際に年齢はそのくらい離れていたので口には出さなかった。
「家に昼食が用意してありますよ」
「ホントー!?」
「私がこの日の為に腕によりをかけました」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。
「日本の手料理は美味いから、すごく楽しみだな」
思わず過去にご馳走してもらった日本の手料理を思い浮かべた。イタリアの手料理も美味いが、それとは違う美味しさが勿論ある。
それを聞いて日本は「恐れ入ります」と照れていた。
「日本、早く行こうよ!」
イタリアが嬉しそうに日本の背中を押す。眉尻を下げて笑う日本も嬉しそうだ。
「ほら、ドイツも!」
イタリアが俺の腕を引いた。イタリアの楽しそうな声につられるように、俺も日本も声を上げて笑った。
世の中にたえて桜のなかりせば
(こんなに楽しいことはなかっただろう)
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(在原業平)