何だか無性に泣きたくなった

 朝晩寒くなって、あいつのオカン度合いが日に日に増してきた気がする。朝、出勤すれば布団をはがし、昼、家に籠もってれば早く仕事に行けと急かし、夜遅いと温かくして寝ろと言いつける。お前は俺の母ちゃんか、と茶化したくなる。

「ただいまー…」
 静まりきった我が家の戸を開く。
 依頼で遠出し、帰宅してみればすっかり日付も越えていた。きっと真っ暗だろうと思ったのに、寝室の灯りがついていた。
 考えられることはひとつしかない。
 ふすまを引けば、案の定というか布団の上で新八が穏やかに寝息を立てていた。見れば新八は寝間着で、もともと泊まる予定だったのかと初めて知る。
「風邪ひくぞ、新八」
 軽く頬をたたくも一向に起きる気配がない。せめて何かしら掛けてやろうと思い立ってようやく布団が一組しか敷かれていないことに気づく。敷いてる途中で寝てしまったのか、それとも意図的なものなのか。本人が寝てる以上問いただせないけれども。
 着流しの帯を解きながら、押入から毛布を引っ張り出す。
「ほら、これかぶってろ」
 聞こえてる訳はないと分かっていても、つい声を掛けてしまう。毛布をそっとかけて立ち上がると脱げ掛けの着流しが引っ張られた。
 目で先をたどると新八の手が俺の着流しの端を握っていた。
「何?お前起きてんの?」
 しゃがみ込んで新八の顔を覗き込む。バカみたいに幸せそうな顔をしてるだけだった。やはり寝ている。手を放す気配がないのでそのまま着流しを脱いだ。新八は少し鼻を寄せてふにゃりと頬を緩めた。寝てる割に表情の変化が激しい奴だ。
 風呂から上がると新八が布団に入り直していた。手には着流しがまだ握られている。一度起きたのか知らないが自分から布団に入ってくれて好都合だ。灯りを消して新八を起こしてしまわないように布団に潜り込む。ほのかに新八の体温で温まっていて心地良い。
 珍しく遠出した疲労感からか横になるとすぐに睡魔が訪れた。遠のく意識の中で新八が眼鏡をかけたまま寝ていたことをふと思い出した。外さないと朝から大変なことになりそうだ。おもむろに手を伸ばす。その手が眼鏡に届くことは叶わなかった。
「起きてたのか」
 自分の手を両手で包み込む新八に声をかける。
「銀さんがお風呂入ってる間に目が覚めました」
 空気が揺れて新八が笑ったのが分かる。
「銀さんの着流し奪っといてよく言うぜ」
「えっ、銀さんがかけてくれたんじゃないんですか?」
「お前がちっとも放してくれねぇから置いてったの」
「あ、そうですか…」
 顔は見えなくても、声音と手から伝わる体温で耳まで真っ赤にしてるのが簡単に想像できた。するりと新八の手を解いて頬に触れる。想像通り火照ったそこに笑みが零れた。
 ゆるく身体を引き寄せると、ぽすりと胸の中に収まった。 ふと眼鏡を掛けていないことに気づく。一度起きたのなら当然か。黒髪を手で梳く。さらさらとした感触が気持ちが良い。
「銀さん」
「ん?」
「……ちゃんと髪は乾かしてくださいよ。アンタただでさえ天パなんですから」
「お前は俺の母ちゃんか」
 図星だったけれども冗談めかして煙に巻いた。もうこのまま眠ってしまいたい。
「アンタの母親なんてごめんですよ」
 ぶすっとした声が振動として胸に伝わる。こんなに近くにいることに、自分の腕の中にいてくれることにひどく安心する。
「──銀さん」
「何?」
「おかえりなさい。よかった、ちゃんと帰ってきてくれて」
 新八の想いが震えた声から、体温から痛いほど伝わってきて無性に泣きたくなった。温かくて愛おしくて手放したくない。
「心配させて悪かったな」
 母親からの愛情というものは本当にこういうものなんじゃないだろうかと錯覚する。少々お節介で煩わしいが、紛れもなくそこには打算も何もない。心の隙間を埋めてくれるような想いに胸が締め付けられる。

「ただいま、新八」

結構一気に書けて満足。

2012.11.23